我等の使命

日本循環器病学 第1巻(Vol.1)1935年4月 第1号(No.1)巻頭言

(現代字体に変更してあります)

 学問の流れは実に河水の如く、昼夜流れて休まぬ. 幾多の流れは細流も選ばるゝ事なく相合し相集つて学海に入る. 学海の広さは海洋にも比ぶべきである.
  河海の水を汲みて尽きぬが如く、我医学界に於ても年と共に月と共に分科に分科を重ねて幾百幾千と数も知られぬ業績の発表紹介があるが、それでもなほ大海の水を掬するの歎がある.
 日本の内科学会に於ても逐年種々分科が発達して其内容が充満し、1年1年と大分科に成長しつゝあるものを数え挙ぐれば殆んど十指を屈せねばならぬ.
 さて循環器病学を顧みるに、これも亦周囲の進歩発達に培はれて展びつゝある外に殊に輓近進歩の目覚しいものがある. 日本でこそ循環器病学は未だ内科学会に従属して居るが欧米の諸国に於ては已に一分科としてそれぞれ一方の覇をなして居る. 今其情勢を紹介する為めに、循環器病学の書籍単行本報告書は暫く置くとして定期刊行の雑誌のみを次に挙げてみよう.

 仏国には已に古くArchives des Maladies du Coeur, des Vaisseaux et du Sangの名によりて心臓血管血液の項目を合し載せ本年は其第22年号である.
 英国にはHeart と題してLewis 教授により1909年以来刊行されて居る.
 米国には American Heart Journal があつて昨年末第10巻を出している.
 獨逸には Zeitschrift fuer Kreislaufforschungがあつて本年は27年巻に当る.
 今一々の記載の煩を避けて単に雑誌と其国名とを列記するに止めるならば、
 イタリー、Cuore e Circolazione
 スペイン、Archivos de Cardiologia y Hematologia
 ブラジル、Arquivos Brasileiros de Cardiologia e Hematologia
 メキシコ、Archivos Latino Americanos de Cardiologia
 已に天下は斯くの如くであって密かに我国を顧る時、未だ此分科を持たず未だ此専門雑誌を持たざる事は寔に奇と言はんよりは惰と言はねばならぬ.

 日本循環器病学分科の産れざる可からずとは識者の夙に気付いていることであつて、先輩畏友の言として、或は文として此循環器病学雑誌の要望を聞く事は已に久しく且屡々であった. 機は熟した. 我々は顧みてよく其任を擔ひ得るかを唯唯懼れるが、然し縷々述べ来つた此情勢の下に生れ出た本誌の使命が如何に重きかを思ふ時は更に駑に鞭ちてこの為に専ら精進せん事を誓ふ次第である.

 循環器病学が発達して多数の業績が出来上りつゝある今日に於ては、内科学会より巣立して別に是を掲載すべき機関誌と是を発表すべき会合とを必要とする. こゝに本会の使命の第一がある. 然し是は総ての機関誌の有する使命と異なる所がない、が第二の使命は茲に我国に於て初めて生れ出たる本分科が如何なる発達をして、如何なる貢献を学界になし得るであらうかと言ふ若人の持つ希望があり、それが使命である. 先進国が已に廿幾年の長を持って立ち上記機関誌の外に学会報告或は循環器障碍研究並に防止委員会等を有するに対して漸く今日より歩み出したる本分科が日本医学会の名誉の為めに成すべき使命の大であるを感ずる.

 次に成さねばならぬ第三の使命は新知識の紹介である. 有体に言うて一般の臨床家には循環器の疾患に対してあまりに無関心の場合が少くない. これには種々の原因があらうが第一に思ひ当る事は20年30年前の講義では其当時の定説であつた単なる心臓弁膜症の聴診や分類を講じたのみであるから、臨床の実際に当つては認識の不足がある. なほ且心臓疾患には不慮の急死等があつて、診断を明確にするに臆する習性が起り、敬遠の果ては無関心を招くものと考へられる. 上記泰西雑誌の巻数によつて知らるゝが如く、古しと雖も獨逸の27年新しきは米国の11年であり循環器病学の進歩は特に輓近に於て刮目すべきものがある. 此故に本誌使命の半は忠実なる臨床雑誌でなくてはならぬ.

 以上述べ来つたる使命に対して本誌編輯上の工夫に考一考を必要とする.
 雑誌紙面半はプリオリテートの部分とし即ち論述と研究報告を載せる、これ第一と第二の使命に従ふ、後半は臨床の部分である. 其部にある“講述”は臨床的題目に就て総説 Sammelreferat である.
 雑誌の組方活字の大きさは新様式を採つた. 活字は当地印刷所には持合せなく新調したものである. 読者各位にとり新奇にして目に親しみを有せざるやを虞れるが、切に新味の賞玩を望む. 研究発表は明瞭且簡潔を願ふ、一論文は四頁を理想としたい、長文にして徒に同意味を反復記述するは自他の労力の損失なると共にスピーデイーの現在に相遠ざかるものであり、又第三使命が対象としている多数の実地家に対しては無用の嵩を重ねるものである.
 筆を止むるに当り、我等の祈念する所は斯くの如くである、願くは各位が学会の為に我等の此挙を達成せしむる為激励誘導後援を吝まれざる事を望む. 蓋し其享ける幸福が決して我等のみのものではない.

 

1935年4月1日    主幹 眞下 俊一

Photographs by Mr. Nobuharu Kihara